Monday, August 12, 2013

【参加者募集中】8/19『ハイファを待ちながら/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー

第5回読書会の課題本は『ハイファを待ちながら/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー



読書会の日程が近づいてきました。興味のある方は気軽にご参加くださいませ。

すべての短編を読んでいただきたいところですが、読む暇がない!、という方は今回メインで扱う「ハイファに戻って」を優先して読んでもらえればいいのではないでしょうか

★日程:8月19日
★時間:17:00~
★場所:西南学院大学2号館501教室

未読で、見学のみでも構いません

ご参加お待ちしております。

6月11日(火) 作品: 『コレクションズ』ジョナサン・フランゼン


遅くなりましたが、11日(火)に行った第四回読書会の報告をさせて頂きます。
6月11日(火) 作品: 『コレクションズ』ジョナサン・フランゼン
参加者:5名  


はじめに、未読の参加者に『コレクションズ』の内容を伝えるというかたちで小説を整理していくという、これまでとは少し違う趣になりましたが、結果としてこの作品を語るにはとても良い手法だったのではないかという印象を抱きました。
黒板に関係図を書き、それぞれの登場人物のエピソードを話していくとかなりの盛り上がりをみせました。その理由として、この『コレクションズ』は全体に流れる大枠の物語よりも人物ひとりひとりのエピソードの方が面白いからだといえます。言い換えるなら、それぞれが問題を抱えた家族の「一員」の物語が強烈なものとして存在して、そこから大枠の物語に繋がるタイプの物語こその楽しみ方だといえるでしょう。特にランバート家の三男チップのエピソードは、かなり破格の面白さをもっており、また、父アルフレッドとの関係における繋がりの深さという点でも、ランバート家におけるチップの立ち位置には注目が集まりました。
また、パーキンソン病を患う父アルフレッド、頭の中の理想を現実に投影しようとする保守的な母イーニッド、家庭に深い問題を抱えてしまう長男ゲイリー、一見成功を満喫していそうなのに実際には問題だらけの長女デーニス、そして、大学を辞職に追い込まれ人生の軌道が大きく逸れたチップ、といった一家それぞれが抱えている問題に対して実際にあり得そうな現実感が強いとの意見をみなさん挙げていました。このような文脈で、野津さんがフジで放送しているドラマ「家族ゲーム」を引き合いに出してくれました。このドラマでは問題を抱えた家族のもとにやってきた家庭教師が問題を暴いていくのに対して、『コレクションズ』にはそのような役割の人物はいないがその方が現実的であると。実際の家庭では、問題があっても噴出することなく、だからこそ悶々とあがくことになる。その様子を正面から描き出しているからこそ、日本に住む我々でも共感のできる物語だったのではないかと考えました。
タイトルとなっている『コレクションズ』(Corrections)が表す矯正や修正といったテーマは、ランバート家の子供世代の態度の変化や、最後にイーニッドが人生を少し変えようとする箇所などに示唆されているようでしたが、直接的な「答え」として物語中には提示せず、希望として残している事がこの小説に重みを持たせているとの感想も聞かれました。
以前紹介したTIME誌の記事にフランゼンの小説は「21世紀の小説というよりは、19世紀の小説である」という言葉があり、語りについても話題は及びました。確かに「物語」がしっかりと存在しており19世紀の小説、(20世紀以前の小説と言ってもいいかもしれませんが)を彷彿とさせる部分もあるものの、随所に破天荒な展開を見せるところが、やはり現代的ではないかとい印象を抱きました。もちろん語りだけでなく、内容にも大きく影響している現代的なテーマが与えている同時代性をとても感じる作品であったように思われます。『コレクションズ』は2001年に出版された90年代後半を舞台とした作品ですが、昨年末に邦訳の出版された2010年出版の『フリーダム』は9・11以降のアメリカを舞台としていることもあり大変興味を惹かれました。
以上、毎度のことながら長文となり失礼いたしました。
次回第五回読書会ではパレスチナの作家カナファーニーの「ハイファに戻って/太陽の男たち」を扱います。日時や場所が決まりましたら後日告知を致します。



Wednesday, May 29, 2013

【参加者募集中】6/11『コレクションズ』ジョナサン・フランゼン


第4回読書会の課題本は『コレクションズ』ジョナサン・フランゼン



この読書会では「世界の文学」を読むと同時に「現代世界の文学」を読むというテーマ作品を選んでみました。この方向性は、古典化した作品ではなく、私たちの生きる同時代を読み解きたいとの想いによるものです。舞台が現代であれば理解しやすい面もあれば、複雑な現代だからこそ難しい面もあるかと思います。そしてこの二面性にこそ「今」の文学を読む面白さがあるのではないでしょうか。
 第4回読書会で読む『コレクションズ』そんな面白さをまさに実感できる1冊です。舞台は現代アメリカ。テーマは家族。アメリカ中西部出身のランバート一家がそれぞれ抱える人生の幸福と苦悩を著者ジョナサン・フランゼンは鋭い文章で時系列を自由に動きながら丁寧に描き出します。今や年老いた保守的な両親、それぞれ成功をしながらも苦悩する三人の子供。家族同士で求めつつも苛立ちの中に立ち消える関係。一家の抱える問題は「修正」(corrections)されるのか…
 小説の中で描かれる家族の姿は現代アメリカを反映しているだけでなく、私たちにも共感できる身近なテーマでもあるといえます。文学を通して何が見えてくるか、みなさんの様々な感想を寄せ合って探りましょう。



ジョナサン・フランゼン

Jonathan Franzen(1959-)

アメリカイリノイ州に生まれる。1998年に長篇The Twenty-Seventh City(未訳)でデビュー。92年のStrong Motion(未訳)を経て、2001年に発表した第3長篇『コレクションズ』で全米図書賞を受賞。2009年にの第4長篇『フリーダム』は昨年末日本語訳が刊行された また、2010年にはTIME誌の表紙を飾り話題となった。現役の作家としては10年ぶりの快挙であった。これまで表紙になった作家は、サリンジャー、ナボコフ、トニ・モリソン、ジョージ・オーウェル、ジョン・アップダイク、そしてフランゼンの10年前に表紙となったスティーヴン・キングなどの名が並ぶ。現代アメリカを鋭く描く作家として今後の活躍も期待される。


★日程:6月11日
★時間:17:00~
★場所:西南学院大学1号館716教室

未読で、見学のみでも構いません

ご参加お待ちしております。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Friday, May 10, 2013

5月8日(火)に行われた第3回読書会の報告です。
参加者は5名。午後5時より1号館707教室で行いました。
テキストは『山猫』岩波文庫・小林訳と河出文庫・佐藤訳です。イタリア語原文も参照しました



今回は二作品を扱いましたが、先に扱った『山猫』の方が以外なほど盛り上がりました。

この山猫は1960年のイタリア統一から50年後の1910年までのシチリア島を舞台にした作品です。

イタリアの統一戦争シチリアに時には革命軍がシチリア島に上陸するなど新しい時代への推移を背景としながら、名門サリーナ家が時代の波に流れに流されつつも次第に没落がえがかれていますが、時代の変化を悟りつつも憂いを帯びた主人公ドン・ファブリーツィオの姿に「イイナァ~」という意見が出ました。

 ではその「イイナァ~」と感じた理由は何なのかと考えたとき、イタリア統一(1860年)と時期の近い日本幕末の姿と被ったのではないかという話が出ました。それを考えると、没落物語というのは、日本でも「平家物語」や「大鏡」など存在することか、普遍的な共感を呼ぶのではないでしょうか。

 60年代を舞台にした小説ですが、フロイトの名前が出てくるなど、時代にあっていません。それは作者が前面に出てきた結果だと思います。P345「彼ら(赤シャツ隊)が姿を消せば、今度は別の色を着た連中がやってきます」この文章はムッソリーニの「黒シャツ隊」の登場をランぺドゥーサが意識して書いたことを結果的に意味していると思います。

 『山猫』は貴族の没落物語として片付けるのはもったいない豊饒な物語であったという印象です。いくつか挙がった話題の中に「時間の感覚」という主題がありました。レジュメをご覧頂ければわかるように、第6章までは章ごとに数か月単位で時間が進んでいるにも関わらず、あまりその印象を受けない、ゆるやかな時間が流れていると感じた方が多かったです。著者ランぺドューサはプルーストなども愛読していたとのことなので、小説における「時間」の感覚に対して意識的だったのではないか、との感想も出ました。

また、最初のシーンで登場するサリーナ家の犬ベンディコの亡骸が捨てられるシーンで幕を閉じることは『山猫』の時代の終焉のメタファーとも受け取れるという話もあり面白かったです。

また、イタリア語原文を参考とありましたが、この点については、たとえば、最初のシーンでギリシャの神々が登場するため、ある種神話的な導入をしているのかと思いきや、原文では織物に描かれた神々と書いてあるなど、日本語訳では汲み取りきれていない部分などの話題が提供できたと思います









 














































二冊目は『ヴェニスに死す』岩波文庫・実吉訳です。
参加者の中で『魔の山』や『トニオ・クレーガー』を読んだことあるかたがいるので、

年表と照合しつつ、作品を初期中期後期に分けることができました。

『ヴェニスに死す』については、時間配分の問題や、少し難しかったとの意見が多かったためあまり話せませず残念でした。

なので、これは私の意見となりますが、この作品の中におけるコレラの蔓延が当時の世相を反映しているのかどうかという点が気にかかりました。1912年に発表されているので、2年後には第一次世界大戦が控えており当時のヨーロッパの空気感といいますか、時代感覚が反映されてるのではないだろうかという印象を抱きました。

芸術家と市民生活の関係性、あるいは、美少年へ愛情を抱いた老人という観点から語られることの多い『ヴェニスに死す』ですが他の考え方もできないかと思い、レジュメにトーマス・マンの主要作品一覧もつけてみました。

マンの話をまたすることがあれば、そのあたり語ってみましょう。














Sunday, April 14, 2013

【次回読書会告知】5/7(火)トマージ・ディ・ランペデューサ『山猫』Il Gattopardo
トーマス・マン『ヴェニスに死す』Der Tod in Venedig


第三回の読書会参加者を募集しています


5月の本は 『山猫』ランペデューサ 『ヴェニスに死す』トーマス・マン です



 

没落する貴族や芸術家の姿を耽美的に映した映画監督ルキノ・ヴィスコンティ。彼によって映画化された『山猫』そして『ヴェニスに死す』は傑作として名高い名作です。今回の読書会では両作品の原作について語りましょう。


 両シチリア王国の宰相を代々務めた家系に生まれたジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサは自身の先祖にあたる公爵をモデルにして代表作『山猫』に没落する貴族を描き出しました。滅びゆく階級である貴族の姿に焦点を当てながらも19世紀イタリア社会の変遷を反映した『山猫』は深く読んでみたくなる一冊です。


 傑作『魔の山』で知られるドイツ文学を代表するトーマス・マンは『ヴェニスに死す』で、ヴェニスを訪れた作家アッシェンバッハが美少年に魅せられていく姿を短いながら濃厚に書き上げています。疫病の流行するヴェニスを舞台に美を求めるアッシェンバッハの物語には、耽美的なヴィスコンティの映画とはひとあじ違った印象もあります。


 ヴィスコンティによって銀幕に映された作品としてだけでなく、イタリア文学・ドイツ文学としてもそれぞれ楽しめるそれぞれの作品をみなさん様々な視点から読むことで新たな発見もあるのではないでしょうか。





著者について

 ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサGiuseppe Tomasi di Lampedusa(1896‐1957)

イタリア・シチリア島の由緒ある公爵家に生まれる。第1次世界大戦ではヨーロッパ戦線で捕虜となり脱走。その後諸国を旅する生活を送りやがて結婚。妻はポーランド生まれの貴族にして精神分析学者。ダンテ、シェークスピア、スタンダール、プルーストなどに親しみ、晩年に生涯唯一の長編小説『山猫』を執筆。無署名で出版社に作品を持ち込み評判となる。しかし病床にあり57年死去。出版は死の翌年となった。

トーマス・マンThomas Mann(1985-1955)

 リューベクの豪商の家に生まれる。自身の一族の歴史長編『ブッデンブローク家の人々』で名声を得る。その後市民生活と 芸術との相克をテーマにした『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死死す』などの芸術家小説や教養小説の傑作『魔の山』を発表し、1929年ノーベル文学賞を受賞。ナチスが政権を握ると国外へ亡命し、終戦後も国外からドイツの文化に対する自問を続けた。







日程 5月7日(火曜)17:00開始 


◆ 参加:条件なし。どなたでもご参加ください見学のみでもかまいません


◆◆参加申込は s15ab065☆seinan-gu.ac.jp ☆→@  へお願いします。レジュメ提出の方はデータを上記アドレスへ送付の上、当日コピーを会場にお持ちください。